江戸の中期、元禄から享保にかけて青蓮院の宮様にお仕えしていた、当家初代・平野権太夫はお勤めの傍ら蔬菜(そさい)や御料菊の栽培をしていました。ある時、宮様が九州御幸(みゆき)の折にお持ち帰りになった唐芋(とうのいも)を祇園円山の地で栽培したところ、京の地味にかなって立派に育ち海老に似た独特の形と縞模様を持った「海老芋」(えびいも)となりました。権太夫は宮中への献上品であった「棒鱈」(ぼうだら)という出会いの食材と一緒に炊き上げる工夫を重ねることにより京の味「いもぼう」を考案。 「いもぼう」は、海老芋とよばれる大きな海老の形をしたお芋と、北海道産の棒鱈を炊き合わせた京料理。手間暇をかけてつくるこの京料理の特徴は全く異なる性質の素材同士がお互いの性質をうまく作用させている点で「出会いもん」と言われております。「いもぼう」は、厚く面取りした海老芋と、一週間余りかけて柔らかく戻した棒鱈を丸一昼夜かけて炊きあげます。
棒鱈を炊くときに出る膠質(にかわしつ)は海老芋を包んで煮くずれを防ぎ、海老芋から出る灰汁(あく)は棒鱈を柔らかくするという理にかなった素材の組み合わせがなせる業なのです。この独特な炊き方を私共では「夫婦炊き」(めおとだき)と呼び、一子相伝で継承しております。特徴的な旨みと甘味、素材の味をしっかりと感じられる京名物です。海老芋と棒鱈の組み合わせで、本当に不思議な味がうまれます。
「いもぼう」は、江戸中期より長年に亘り受け継がれた技と味が「一子相伝」の口伝にて継承されています。
その伝統は、初代・権太夫に始まり、連綿と代を重ね、中興の祖十一代・北村粂蔵、その遺志を受け継いだ十二代・藤之助、十三代・多造、十四代・眞純(当代)、そして次代を担う十五代・晋一へと正統なる系譜により伝承されています。
本家当主を継ぐ者だけが、約300年に亘り変わらぬ、他では真似の出来ない本来の「いもぼう」作りの技を知ることが許されています。
最高の味をうみだす素材の選び方、調理の仕方、気候や天気、温度や湿度、素材ひとつひとつの様子を見極めて調理する相伝の方法により、ほんまもんの「いもぼう」を味わっていただけるのです。
当家(本家)の当主が代々伝えております瓢の置物。
十一代粂蔵が壊れていた箱を作り直し、その謂れを箱に書き記したと伝え聞いております。
その姿は下膨れで安定性があり、口は小さく可愛らしく、その名の様に大黒様がお持ちの袋の様にみえます。
いもぼう平野家本家では伝統のほんまもんの味を守る為に、京の名物料理「いもぼう」の技と味を一子相伝(いっしそうでん)で継承者にのみ伝承いたしております。手間暇をかけた他では真似の出来ない本来の「いもぼう」を是非お召し上がり下さい。 東山の豊かな緑に囲まれた円山公園の中に在る数寄屋風の一軒家で、季節毎の室礼(しつらえ)にて皆様のお越しをお待ちいたしております。文豪・吉川英治先生に「百年を伝えし味には百年の味あり」とお褒め頂き、ノーベル賞作家・川端康成先生が「美味延年」と記され、また推理小説作家・松本清張先生には小説の舞台としてお書き頂いております。